私は富士山の麓、人穴という部落で生まれました。
荒涼とした原野が広がり、生活の苦しい開拓部落で
両親は分校の過疎教育と過疎部落の人たちとの交流に明け暮れていました。
私は3人兄弟の末っ子でほったらかされて育ち、ちょっと変りものだったのか
遊び場は、富士山中腹で普段人が立ち入らない風穴(溶岩がが流出して出来た洞窟)でした。
そのまま風穴の底の底で坐していたくなり、
いつしか人穴の風穴は自分の聖域になってゆきました。
いつまでもいつまでもたたずんでいるわたしは
幼いながらにきっといろんな夢を見たんだと思います。
風穴の中で響く水の音・・・
湿った岩肌は銀河になってみたり
蛇や蛙の姿が現れたり
・・・・・・・
そのまま私の原風景となりました。
なぜ、おどるのか
根拠も理由も超えた、この原風景に常に帰ってゆきたい。
テクニックではなしに、ありのままに、無防備に、
しぜんのつぶになりたい。
ひたすら求めたいものは
富士の人穴で生まれた自分のからだにひそむ普遍的ないのちのありかた。
私が幼いころに見て感じた大自然がおどりの先生です。
子供たちとの出会い。
自分のおなかのお部屋を貸したけど、別の生き物です。
からだにある大きな宇宙は
出産を通じてからだの臍の緒と自然の臍の緒を ひとつにしてくれました。
たくさんの人との出会い。
そして自然との出会い。
これがヨガの場でもあり、
おどりの場でも通じ合いたい。
大自然のつぶと人の織り成すつぶ
私のからだを通じて自由に行き来するつぶたち
いのちのつぶをお伝えしなくては。
ゆふがほ きらら