カテゴリー別アーカイブ: メッセージ

しぜんのつぶ

渋沢丘陵の巨大霊園開発計画見直しを求めるシンポジウムで
お話のあった八国見山に子供たちと行ってきました。



丘陵の尾根を歩くために、近くの老人ホーム駐車場に車を置き、歩き出す。
渋沢から秦野をつなぐハイキングコースからわずかはなれて、
竹藪あったり、土砂崩れでできた穴があったり、のんびり歩いて一時間
八国見山の頂上を指す小さな指標を見つけました。

てくてくくてくて・・・八国見山山頂にたどりつく
かさこそかさこそ落ち葉ふんで
学校いけなくて空ながめてた山みたいだ。
いけないことへのうしろめたさは
いかないことのやすらぎにかわり
だいすきなむなしさにまでなる

つくらないしぜんのゆりかごが
みじめな自分を揺らしてくれる

  ゆやーーん
     ゆやーーん
   やゆゆやーーん
どこかでだれかもいってた響き
そう、最近そらちゃんヨガでも響きあったぞ!

右手前は卵、石でペチャンコになった母アカガエルの死

どこにでもあると思っている自然は
人間の欲で破壊されていく限り、
人間の叡智で、破壊する力を最小限に抑えていかなくてはいけない。
秦野は水と緑にあふれた心豊かなふるさとと謳われている。
身近な環境保全への取り組みといって重機を入れてガンガンしたら、
踏みにじられる生き物たちが、たくさんでしょう
水はよどみ
山にある雫一つにもこの循環があるのだから、
人は自分の庭の雫が枯れてゆくことへ、頭一巡りしなくてはいけません。

山頂から海が見える

しぜんのつぶを感じたくて
山野草をかみしめながら山道歩いた。
そのあと、数日、目が回るほどおなか痛めた。

自然は、ヒトのようにものいわないけど、
たくさんのことを語っている
いつしか造られてしまうかもしれない巨大霊園に
木霊たちの叫びを感じよう

渋沢丘陵を考える会 日置乃武子さんの言葉です。
「生命の源となるような環境がごく身近にあるということが大事です
ハンディーを抱えた方も、筋肉の衰えた老人も、歩き始めの幼子も
みんなが気軽に出かけていくことができるところだということが大事です。」

ゆふがほ きらら

ふたりでひとつぶヨガ

庭の桃の花

春分の日
庭の桃の花が咲きほころびました。

午前中は親子、夫婦のふたりでひとつぶヨガ
午後はファミリーふれあいヨガ
どちらも、春感じるヨガしました。

●ふたりでひとつぶヨガ
まずはひとりで感じる作業。
農作業のように、足や手をもみ、ほぐし

今度はパートナーで感じる時間。
足を伸ばして背中向かい合わせに座り
せなかをもぞもぞ
背中脳をつかって相手のせなか、せぼねさぐってみよう

つぎに
前屈のポーズを背中合わせでやってみる。
一人は前屈、一人は背中にのっかります。
うまく乗っかっていくには時間がかかりますが、
いてててて、、
声だしながら反応しあうパートナー同士。
体の声をキャッチしてゆく作業。
一人だったらそこでやめてしまうけど、二人だとなぜか続けられるのは
ボディーランゲージ(体のおしゃべり)をたのしむふたりがあるから
最後は一人ではできなかったくらい前屈伸びていました

ストレッチした後は
また、せなかもぞもぞ
背中脳はかき回されて、伸ばされほぐされしているうちに、
硬くあたったつぶも
ながれて、柔らかくなってくる
自分と相手の体境を越えて

それから、パートナーヨガポーズ
足をくっつけあってV字バランス
立って手をつないで心臓広げるハートのポーズ
立って片足立ち木のポーズ、

今度は円になってみんなでろうそくポーズ
開脚で手をつないで輪になった波のポーズで揺らすと
足も知らないうちに開いて
うわーうわー♪
はにかんでたからだが揺れて、
みんなの声で体が響き合ってる

由美子手作りシュー

●ファミリーふれあいヨガ
パパママトンネルポーズ
子供たち蛇ポーズで、トンネルくぐってみたり
・・・・・・・・・・
親子船こぎポーズ
ねっ転がったつながるねじり
最後の瞑想はみんなで手をつないでやりました。

ひとりもいいけど
ひとりじゃなくてもよかったねー
一人じゃできないポーズも
ほらね、らーくらく
筋伸びてるでしょ
内臓揺れて
水も流れる、、、気も流れる

からだをほぐすためには
からだを脳でつかむのではなく
皮膚の触覚、臭覚、聴覚、視覚、、をつかって感じる

からだかたいの
あたまかたいの関係なし
ねじ曲がっていようが
ゆがんでいようが
こころころころころがってる。

場にエネルギーがみなぎってくると
ありのまま
みえないせかいをかんじあってる

     どこからくるの
     このいとおしさ

ゆふがほ きらら

たわやか

庭の桃がほころび始めました。

あたたかくなったり
かぜふいたり、
寒に戻ったり
天地は、萌芽に嫉妬か、戸惑いか、眩暈か
日に日に刻刻かわるのであります。

今日は
昼ヨガ、赤ちゃんたちと、まったり過ごす時間。
赤ちゃん連れヨガ&マタニティーヨガ合体レッスンでした。

もみじのおてては
空でわたをつかみ

どこにも力が入らない
宇宙に浮かんでいる
からだは世界に開いている

おかあさんは
一生懸命に毎日お乳を出し
おっぱい、うんち、ねんね、
の繰り返し

スワイショウで、体を揺らし
その場歩きで足腰鍛え
子育てのデトックス!

お母さんの体を見る赤子のまなざしは岩をも通す
上を向いて寝ていただけの子が
おかあさんのヨガにつられて
寝返りを始めてうった。
   どおおーーー歓声

明希ちゃん寝返り一番

あきちゃんの
ねじれた、せぼねに
はるのかぜ

ママたちの
ほぐれたからだに
ひとつためいき

夜ヨガ
春は首が凝る季節。
風にさらわれたり
新しいいのちに目眩したり

頭を下げて、血を下ろし
腰を振って、腹たいら
むくみにツボ押し
緊張ほぐして、脈拍安定

瞑想はお月さまの光にに包まれて
ほんに まろやかに

春はあけぼの
不眠にストレッチ!

ゆふがほ きらら

第9回秦野ひまわり養生ヨガ報告

本日3/17本町公民館で養生ヨガをやりました。

いつもの秦野ヨガスタッフに加えて
新たに意識をもって参加してくださる方が加わり、
電車好きなゆうりくんも
プチヨガ参加、わいわい養生ヨガしました。

花粉のシーズンということもあってか、
顔や足がむくんでいますね。
下半身のむくみは、足ゆびにぎにぎ
足首、ひざ、股関節
それぞれのほぐしが必要です。
おかおのむくみは
おでこのてっぺんの上星のツボ押し
肩、首まわしが有効です。

ひこうきのポーズ

それからみんなでうつ伏せ
飛行機のポーズ
離陸して、両翼を整え、
右に、、、左に、、、体を傾けてゆきます。
おなかが押されて温まって
末端を伸ばしてゆくと、からだ全体の流れがよくなります。
着陸とともに
大きなため息、脱力。
大きく両翼を広げれば広げるほど
交感神経と副交感神経へのバトンタッチはうまくつながり
からだの血流がどんどん良くなる。

としお父さんも、2回目の飛行で背骨が伸び始めました!
合体飛行した母は大いにほぐれたに違いありません。

坐禅僧

最後は
ホッと瞑想タイム。
会場の座布団を集めて
修行僧ゆうりが、場を見守る。

お茶タイム
玄米とカシューナッツクッキー&しょうが紅茶。
このとき、福島いわき市に戻られる決断をした方が
ご家族で挨拶に来てくださいました。

上のおねーちゃんは中学生に、
真ん中のお譲ちゃんが小学校に
被災直後に東海大学病院で緊急入院・出産した
一番下のぼくちゃんは2歳になりました。

お父さんの両腕に抱かれる子供たちのうれしそうな顔。
この春からお父さんと一緒に暮らせる
喜びや安心に勝るものはないかもしれません。

次回秦野ひまわり養生ヨガは4/14日曜日です。
ゆふがほ きらら

いのちのつぶ

渋沢丘陵の巨大霊園開発計画見直しを求めるシンポジウム

ドイツの春
生きてる間は自然のつぶになるための修行
とおもうこのごろ、
思うところあって
普段あまり出かけないシンポジウムに子供4人連れて出かけました。
パネラーの中に、川や桜畑での踊りでサックス吹いてくれる
絵本作家の舘野さんもいました。
死体を食べて生き延びるシデムシの話は心うつものがありました。
山歩きライターの打田さん、さんげつ会の日置さん、、、
みなさんとても心温まる話でした。
やぶこぎの話を夢中でするパネラーたちはみんな少年に戻っていた。

2004年、離婚して都会から4人の子供たちと住むのに
いくつも運んで探し当てた土地、秦野。
丹沢の山並水戸四十八瀬川に引き寄せられてのでした。
いまでもそれは間違っていないと思っています。

ところが近年の四十八瀬の川周辺の護岸整備のおかげか
水の流れによどみを感じ、
果樹園作るとかってバッサリ木はきられ、
つぶの痛みを感じています。

今回のシンポジウムは、
渋沢丘陵にある里山の自然を守ろうとする話し合い。
渋沢駅南、渋沢から秦野までのハイキングコースから
ちょっと外れた八国見山に20ヘクタール15000区画の
大規模霊園造成計画があるという。
いろんな所を子供たちと歩いたけど、
そこにはまだ行ったことがない。
標高319mのその山は深い沢があって、
クヌギやコナラなど広葉樹林が広がり、
貴重なランが生息し、国蝶オオムラサキやたくさんの昆虫、
オオタカ、ノスリたくさんの鳥たちも生息するという。
自然のつぶがギュッと詰まった里山を人間の勝手で
切り崩し、本当に必要かどうかわからないお墓を
そこに作ることは、本当に必要なことなのかな???
(そういえば、やたらお墓いりませんか・のセールス電話がかかってきていた)

少し不謹慎な話になるかもしれません。
父が亡くなり、骨を焼く前に
彼の足つぼをマッサージしました。
あちらにゆくときは体力がいるだろうと。
弾力はなかったけれど、父の足は私に何か伝えてくれているようでした。
さすりながら、父の体が土や自然に還ってほしいなと強く思いました。

私は、死んだら鳥や生き物に食べてもらいたい。
そして糞を落として土や風に還ってゆけたらいいな。
骨をばらばらにするのが大変ならば粉砕した焼骨を海や川や山でばらまいてほしい。
自然の中で、、自然の形でめぐってゆくものとして一つのつぶでありたい。
母の思いを子供たちは許してくれルだろうか。

それから
パネラーの皆さんの興味深いお話を聞きながら、
ふと自分が毎年きままにやっている
四十八瀬の河原屋桜畑での踊り、、、
しぜんのつぶになること
まじめにかんがえた。

シンポジウムの最後、、会場の人たちの声。
小田原や開成町や湯河原まで秦野のことを心配して駆けつけてくださる中には
元町長さんもいてその熱弁は法律チンプンカンプンの私にも伝わりました。
みなさん、いのちにたいして、おもいがあるから。
会場は年配の方が多く見られました。
でも小さな子供たちでも聴けるとおもう。
きっとどこかでぶち当り自然への見直ししなくては。

    いのちが、いききする ちくわという宇宙。
    生きたあかしをモニュメントとして掲げるより
    いのちのつぶとして
    自然に還ることの方が、すべてにしぜんだと思う。
    

まだあるいたことがない、八国見山を少し感じたような気分で
子供たちとワイワイ帰りました。

ゆふがほ きらら