渋沢丘陵の巨大霊園開発計画見直しを求めるシンポジウム生きてる間は自然のつぶになるための修行
とおもうこのごろ、
思うところあって
普段あまり出かけないシンポジウムに子供4人連れて出かけました。
パネラーの中に、川や桜畑での踊りでサックス吹いてくれる
絵本作家の舘野さんもいました。
死体を食べて生き延びるシデムシの話は心うつものがありました。
山歩きライターの打田さん、さんげつ会の日置さん、、、
みなさんとても心温まる話でした。
やぶこぎの話を夢中でするパネラーたちはみんな少年に戻っていた。
2004年、離婚して都会から4人の子供たちと住むのに
いくつも運んで探し当てた土地、秦野。
丹沢の山並水戸四十八瀬川に引き寄せられてのでした。
いまでもそれは間違っていないと思っています。
ところが近年の四十八瀬の川周辺の護岸整備のおかげか
水の流れによどみを感じ、
果樹園作るとかってバッサリ木はきられ、
つぶの痛みを感じています。
今回のシンポジウムは、
渋沢丘陵にある里山の自然を守ろうとする話し合い。
渋沢駅南、渋沢から秦野までのハイキングコースから
ちょっと外れた八国見山に20ヘクタール15000区画の
大規模霊園造成計画があるという。
いろんな所を子供たちと歩いたけど、
そこにはまだ行ったことがない。
標高319mのその山は深い沢があって、
クヌギやコナラなど広葉樹林が広がり、
貴重なランが生息し、国蝶オオムラサキやたくさんの昆虫、
オオタカ、ノスリたくさんの鳥たちも生息するという。
自然のつぶがギュッと詰まった里山を人間の勝手で
切り崩し、本当に必要かどうかわからないお墓を
そこに作ることは、本当に必要なことなのかな???
(そういえば、やたらお墓いりませんか・のセールス電話がかかってきていた)
少し不謹慎な話になるかもしれません。
父が亡くなり、骨を焼く前に
彼の足つぼをマッサージしました。
あちらにゆくときは体力がいるだろうと。
弾力はなかったけれど、父の足は私に何か伝えてくれているようでした。
さすりながら、父の体が土や自然に還ってほしいなと強く思いました。
私は、死んだら鳥や生き物に食べてもらいたい。
そして糞を落として土や風に還ってゆけたらいいな。
骨をばらばらにするのが大変ならば粉砕した焼骨を海や川や山でばらまいてほしい。
自然の中で、、自然の形でめぐってゆくものとして一つのつぶでありたい。
母の思いを子供たちは許してくれルだろうか。
それから
パネラーの皆さんの興味深いお話を聞きながら、
ふと自分が毎年きままにやっている
四十八瀬の河原屋桜畑での踊り、、、
しぜんのつぶになること
まじめにかんがえた。
シンポジウムの最後、、会場の人たちの声。
小田原や開成町や湯河原まで秦野のことを心配して駆けつけてくださる中には
元町長さんもいてその熱弁は法律チンプンカンプンの私にも伝わりました。
みなさん、いのちにたいして、おもいがあるから。
会場は年配の方が多く見られました。
でも小さな子供たちでも聴けるとおもう。
きっとどこかでぶち当り自然への見直ししなくては。
いのちが、いききする ちくわという宇宙。
生きたあかしをモニュメントとして掲げるより
いのちのつぶとして
自然に還ることの方が、すべてにしぜんだと思う。
まだあるいたことがない、八国見山を少し感じたような気分で
子供たちとワイワイ帰りました。
ゆふがほ きらら