2011年 12月10日
四十八瀬川で踊ったときのこと、
ヨガに通ってくれている方が
むすめさん、そらちゃんを連れて舞踏を見にきてくれました。
初対面で、舞踏する、きららにからみついてくれて
私はすっかり、そらちゃんのとりこになってしまいました。
それから、
そらちゃんと、単独ヨガをして
一年半すぎています。
そらちゃんは、自閉症と診断されていて、
養護学校に通う小学校5年生です。
私は、自閉症という症状はよくわかりません。
私もこどものころから自閉的で
みんなと同じようにうまく乗れないとことがあって
みじめな自分を持て余していました。
今はこんなに図々しくなっちゃって
生きるリハビリに自然でおどらせてもらっています。
でも、そらちゃんの自閉症と自分のちいさなころの
自閉的とは違うみたいです。
自分は、自閉症といわれたこともないし、
その時、その時でうまく社会を渡れてきたとおもいますから。
ハンディーをもつそらちゃんから教えられることは
生活をともにし、育てられている、
お父さん、お母さんが一番知っておられることでしょう。
私は親御さんの大変さとは違う角度でしか、
感じられないので、無礼があったらお許しください。
週一度そらちゃんと単独ヨガをやらせてもらって
私にも、教えられていることがたくさんあります。
言葉でいうことが難しいけれど、あえていうならば
ヨガを当たり前のように、教えている自分を
徹底的に覆してくれる
教えているのでなく、教えられているということ。
そらちゃんは、いのちのかたまり を くれる
そらちゃんが時々起こす問題行動やパニック症状。
予想できないことや苦手なことが起きると
敏感に反応して、ものすごい力で拒否。
うまく表現できないことも加わって
自虐的になったり、叫んでしまったり。
そんなそらちゃんの行動はともすればまわりの人たちへの
偏見や恐怖心を生んでしまうかもしれない。
でも、よく良く思い起こすと
そらちゃんの抵抗は
暴力的になっても
それは自虐に終わる
そしてそのあとは
嘘のように穏やかな波。
生きることの重みを考えるチャンスをあたえてくれるような
必要で起こされておるように思えてならないのはなぜか。
立ち止まって考えるっことを忘れてスピーディーに流れる大きな渦の社会に取り
残された、ささやかな抵抗のような。
このパニックを
薬で抑えさせて静かにさせる方法があるようです。
すごい薬ですね。
でもその薬を常用していたらそらちゃんは確実に自分らしさを失ってしまうので
はないでしょうか。
何だかいやだな。
おとなしくさせて楽する社会のお手伝いみたいな匂いがする。
「わかることは、わけないこと」
理解しようとすることは、自分と区別しないこと。
自閉症だからといって
ひとつにまとめられないものだと私は思います。
まずは障害といって
自分から分けないことだと思います。
不可解な行動や
理解できない症状は
社会というシステムに組み込まれている側の判断で
手慣れていって見落としていることがたくさんあると思います。
そらちゃんは、おちついているときによく話を聞いてくれる
はなにみずをあたえるそらちゃんのやさしいまなざしはとても尊い。
小さなことを踏みにじろうとすることをまっすぐに拒否する平和主義者。
保守的で大胆。
たましいのはなしや
みえないせかいのはなしに
反応してくれるそらちゃん。
理屈で並べられた言葉のつながりでなく
音や、リズムにのっかってる声が好き。
ゆわーんゆわーんやゆゆわーーーん
かき、くわぇ、くわぇ、かきくわぉー
きららとそらちゃんのヨガ、、いろんな声のつぶを飛ばしながら
からだを動かす。
おとのつぶにのっかってうごかすからだがすき
自分の細胞の中の記憶に組み込まれている
いのちの源みたいなものを
いつもそらちゃんは思い起こしてくれる。
思いあがっている自分の
面の皮をはがして
ちょっとこまったようなかおをして
私を見つめる。
と、かんがえると、
私の舞踏が単に自分の生活のリハビリになっているようではまずい。
生きることが舞踏であるとすれば、そんな簡単なことではない。
そのこともそらちゃんと接して教えられることです。
で、最近、そらちゃんのお母さんが
そらちゃんに素敵なヨガパンツを作ってくれて
ヨガマットにのっかって
私とお揃いのヨガパンツで
ヨガの場を共有しています。
お母さんが作るヨガパンツのおかげで
そらちゃんのヨガのポーズが増えています。
そらちゃんが苦手でそっぽ向いてた背骨のばしや、骨盤調整ポーズを
楽しくやっていますよ。
これが本当の生産だと思います。
そらちゃんのからだを伸ばしてくれるお母さんの愛は
ヨガパンツの中で紡ぎだされる。
そしてママのヨガパンツをはいて
そらちゃんは自分のからだにやさしいあり方をかんじる
そんなそらちゃんのあり方を
誰にでもある当り前の生活のひとこまが
そらちゃんのハンディの摩擦で生み出されるとしたら
そのハンディを
むしろまわりでみんな共鳴してゆかなければいけないのではないでしょうか。
自閉症の子供は目線を合わせないなんて嘘だ。
そらちゃんはじっと私の目を見る
そらちゃんの目はやさしくてこわい。
つぶがあるからいのちがある
いのちがあるからつぶがある
どっしりここにきなさい
すべてはたいら
いま必要な社会とつながろうとする努力に乾杯!
すごいぞヨガパンツ!
今秋、あおぞらカフェからヨガパンツ売り出します!
乞うご期待!!
ゆふがほ きらら